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ヨットピープル

三河丸船頭 芝 豊造

1月から2月に掛けてベトナムで遊んできた。戦後25年しか経っていないのに復興ぶりがすばらしい。日本の本州を丁度真ん中で縦割りしたような感じの国土の様子である。
東側は海で幸豊かだ。山側は中国、ラオス、カンボジアに接しているため、適度の緊張感を保ちながら、交易も盛んである。
首都のハノイは、社会主義国家という感じが滲んでいるが、南国の商都サイゴン(ホーチミンという呼び名は建前みたいで、ベトナム人も路地裏ではサイゴンと言っている)、は騒々しく、猥褻で、活気が沸騰している。僕は大好きだ。
そこで、ウエン、バン、ゴクさんと知り合った。 2月12日が正月なので、日本から帰国したばかりであった。ゴクさんは19年前に、難民として日本へやってきた。いわゆるボートピープルである。
ボートピープルという言葉のおいらの理解が間違っていた。食うに困った人が母国を捨て、ぼろ船にやたら乗り込んで、流れ着いた国で暮らすことだと思っていた。実は違った。戦後或程度の財が残った人々がお金を出し合い舟を確保し、舟ごとに行き先の先進国をはっきり決め、命を賭して出かけたのだ。ある意味で母国復興への戦士であった。
浜松にたどり着いたゴクさんは、難民申請をして永住許可証を獲得し、肉体労働で小銭を貯め、捨てられた電化製品や農機具をせっせと母国に送り、母国に残った父と弟がそれを修理して売りさばく。 今では、浜松で会社を興し、去年払った法人税が1000万円だったと言う。クイニヤンにある実家に招待されて行ったら4階建ての豪邸があった。参ったと思った。
ボートピープルには目指す目的地があった。そこは一攫千金を夢見る黄金の国であった。夢があった。
我々ヨットマンも船出する。薄汚れたシャツを着て、時には食うや食わずでヨットを走らせる。途中嵐にあって、たどり着いた港の漁師に冷たくあしらわれ、夢も希望もありゃしない。結局、疲れ果てて母港に帰ってくる。ゴクさんが言った。ヨットを持ってるなんてリッチですね。リッチなもんかね、お恥ずかしい。ヨット乗りに行き先なんてありゃしない。何処々々一周なんて格好つけて、くるっと回ってくるだけだ。
ヨットピープルよ! もし、行き先があるとすれば、そいつは地獄だぜ。 

おわり        芝豊造

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