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FLYING航海記6

船頭 水野範彦

7月19日 晴 朝宮崎から19時間で上りをシングルハンドで回航し、エンジン故障の艇をセーリングでポンツンにつけた猛者がいた。今日は火山島ヨットレースの開会式だ。臨時ポンツンに続々参加艇が到着する。飛行機を乗り継いで室田氏到着。桜島フェリーを買いきったオープニングセレモニーは桜島太鼓と、バンド演奏をバックに始まった。抽選会ではなんとJALの鹿児島→大阪往復搭乗券が当ってしまった。明日からのレースで地球に当らないようにしたいもんだ、

フエリー内のウエルカムパーティ 芝さんはまだ海の上 右は鹿児島名物ヨット変人の今井さん

7月20日 晴 第一レースは例年のごとく速い潮と4m位の風の中の中スタート、ところが予告信号はてっきり10分前だと思っていたら、他艇は続々スタート、『flying』はビリからスタート(後から聞いたら去年からレース規則が変わって、予告信号は5分前、4分前と1分前に号笛が鳴るんだそうだ)まあまあの風の中ついに5分の遅れを取り戻せず31艇中26位、ボヘミアンはオープンクラスで参加1艇のみで悠々と完走、三河丸が内之浦からやっと到着,ご苦労様でした。夜は薩摩料理の店に行き、薩摩料理を堪能する。帰って鹿児島のヨットウーマンに召し取られた,横浜のヨットマンとの結婚式に出席,天幕の下 鹿児島のヨットマン達のお二人の幸福を祈る手作りの,心温まる素敵な結婚式でした。
7月21日 晴 微風と早い潮の中オリンピックコースのスタート、スタートラインを切るのに40分もかかってしまった。あるか無しの風を拾ったり、漂ったり、タイムリミットを2分過ぎてゴール、成績はなんとDNS,スタート30分以内にスタートラインをきらないと駄目だそうだ。半分近くの艇がDNSでした。クルージング派で,何もレース規則を知らないのを痛感,三河丸はレースリタイヤ後エンジントラブルで桟橋へ激突,バウが損傷するトラブル。ボヘミアンは体験乗船のお嬢さんを乗せてレース観戦。夜は2レースの表彰式と,バーベキュウパーティを満喫。室田さんお帰りになる。
7月22日 晴 台風9号が近づいているので,火山島めぐりが神瀬めぐりに変更,ボヘミアンはオープンクラスで1艇のみだからレースに出ないと決定,クルー2人がお手伝いに乗船。例のごとく微風と早い潮の中スタート、2/3位のスタートラインを切れない艇が一斉にエンジンをかけスタートラインへ向かい,720度回るペナルティ,昨日の教訓をしっかり肝に銘じたスタートでした。昼中は微風と潮に流されるレース展開で,指宿沖で半分近くの艇が団子で再スタート状態,微風で小型艇が抜け出し,マーク回航後12mの上りの強風の中,山川沖で『flying』はリタイヤ,11時山川港へ入りシャワーを浴び,ビールを飲んで快眠。
7月23日 晴 8時山川出港、港の出口で漁船がそばにきて、『台風が近づいているから俺と一緒に避難しよう』と誘ってくださる。しかし一度臨時ハーバーに帰るよう連絡済だからお断りして,好い風をもらって帆走、帰ると明日臨時ポンツンを壊すとのことで,鹿児島の避難港へ避難するも,ボヘミアンが大きすぎると断られる。鹿児島のヨットマンが心配してあちこち当ってくださり,魚市場の漁船に舫わせてもらうことにする。三河丸はエンジントラブルで,曳航されてKMSへ,上架することになり当分ホテル住まいか?『Sachi』のオーナーのご招待で『市場食堂』と言う立派な料亭で市場直送の鹿児島の海の幸の食事をいただく。
7月24日 晴 8時に早々と漁港に入り,挨拶をして漁船に舫う。クルーのお二人は知覧特攻記念館と武家屋敷の見学、オーナーお二人はヨットのお守り,夕方ヨットの向きを変え舫いなおし,6時よりホテルにて最終表彰式とパーティ,ボヘミアンはオープンクラスただ1艇の豪華参加賞を戴く。『flying』は蚊帳の外,仕方ないか散々の成績だから 『レース規則を勉強しろ』

 

サヨナラパーティで ボヘミアンは豪華参加賞を貰ってご機嫌 フライングしょんぼり 芝船頭は何処かでお楽しみ 鹿児島名物のヨット変人の腰巻に注目(還暦かな?)

7月25日 曇雨 天気予報によると,台風は十島村くらいを中心に西へ進むようで,明日朝鹿児島に最も近づくようだ。漁船が続々避難してきて,対岸の堤防から舫いを取る。隣の漁船が舫いをとるのを手伝い,漁船のロープを借りてボヘミアンを舫う。『flying』は負んぶ抱っこ,港内は身動きが出来ないほどロープを張り巡らせてしまった。誰か台風をあちらに蹴ってくれないかな?ボヘミアンのクルーお二人はお帰りになる。夕食は艇内であり合わせのおかずと,『あいま』差し入れの冷酒を味わう。久しぶりの日本酒が腹にしみわたる。甘露。
7月26日 雨曇 夜のうちに台風は通過したようだ。が悪い風が残って,船がオカシナ揺れ方をして船酔いしそうになり、慌てて陸に上がる。幅30cm,長さ3mの道板が,潮が上がって30度くらいに傾いている。オジンは這いつくばって渡り,通りかかりの漁師の笑いものになるが,安全第一,海に落ちたくないもん。ホームセンターなどで買い物と,鹿児島一の薩摩の湯に行く。城山観光ホテルの中にあり,景色も,温泉も,ムードも,値段も最高。桜島温泉ホテルに滞在中の三河丸船頭を誘い,垂乳根で世界一周した中村さんの店に行き、鹿児島名物黒豚のシャブシャブを賞味する。
7月27日 雨 どうも台風の予定が遅れたようで,今日お見えになるようだが,小さくなって風も雨も大したことがないが,蒸し暑い。こんなことなら昨日霧島温泉へ行けばよかった。が台風が小さくて済んだのも遊びに出かけなかった褒美かも。『かざぐるま』より仕事が沢山来て消化するのに半日かかる。午後台風見舞い来客多数,昼寝する暇なし,そのうち隣の漁船が陸よりはったロープを乗り越え出港,その度胸と鮮やかさに目を見張る。雨間をぬい,岸壁より舫いを取り直し,他の船より張ったロープを撤収し,ジブをセットし台風対策解除する。もう台風は十分お迎えしたので,これで終わりにして欲しいものだ。考えてみれば今月は2/3は台風から逃げ回るのに費やされたようだ。
7月28日 曇晴 朝早くから台風避難した漁船が、岸壁からのもやいを解いて続々出港する。中には隣の舫いに絡まって苦労している漁船もある。我々も漁協の荷揚げの邪魔にならないように,アンカーを上げ出港,やっと戻った夏空のなか一路山川港へ,お上の船の台風避難用の空いている立派なポンツンに繋留,この暑さと台風から逃げ出す気苦労の所為か,出来た汗疹の治療のため,この間の台風の落し物の大雨の為土砂崩れの通行止めを避けて,1時間半もかけて霧島高原に避暑に行く。
7月29日 晴 長い間お借りしていた車を返し山川港へ,暑さの中ヨットは水鏡の中に浮かんでいた。『ボヘミアン』は明日勝浦まで黒潮に乗って帰るので買い物に,『flying』は三島レースまで錦江湾内温泉巡りの旅に出る予定,近くの『いかえぎ荘』で『ボヘミアン』は珍しくウーロン茶の晩酌で夕食,『flying』は生ビールを3杯も飲んでしまった。
7月30日 晴 朝食もそこそこに『ボヘミアン』は6時半出港『flying』はゆっくり13Mの鹿屋港へ,海上自衛隊のランチに着ける所を聞いて岸壁に近づくと,舫い終った自衛隊の人が駈足で走ってきて舫いを取って下さる。さすが日本海軍,予科練出身の『flying』船頭は、かねて希望の鹿屋海上自衛隊の航空展示館を見に行こうと,近くの人にバスの停留所を聞くと送ってくださるとのこと,結局バス停がわからず,展示館まで送ってくださる。鹿児島へ来て人情の厚さに感謝するばかり。展示館では懐かしい展示品に感激,帰って魚市場でアサリと海老を買って,夕食。鹿屋には温泉はありませんでした。
7月31日 晴 朝養殖のカンパチの生かしての出荷を見てからゆっくり出港,今日も13Mの旅で根占港へ,フェリーの出港を待って入港、早速歩いて5分の根占温泉ネッシー館へ,入浴料300円で温泉へ,暑い午後を涼しい休養室で昼寝and宿題をこなし,パソコンを充電して夕食を食べ,涼しくなった8時ヨットへ帰る。
8月1日 晴 ゆっくり出港して南の佐田漁港へ,10時から始まる「佐田の湯」へ入り,懐かしの山川港へ帰る。『ボヘミアン』より『昼には大王埼を通過した。オートパイロットが故障してまいった』とのTelが入る。10何年か前に,山川港を昼過ぎ出て,佐田岬を夕方クリヤーし途中でオートパイロットが故障,知らないうちに寝込んでしまい,目が覚めたら志布志湾を漂流し,疲労と睡眠不足で幻覚を経験,やっとの思いで夜半油津港に入港,藤田さんからオートパイロットを借りて帰ったことがある。較べて約420Mを,オートパイロット無しで190Mを,シングルで走るとは根性と体力は立派なものだ。夜電話して驚いた。もう名古屋で1杯飲んで見える。逆算すれば5時には碧南に着いていた事になる。三河丸には留守電を入れても返事がない。どうして見えるやら?顔なじみの船頭さんから『鹿児島はよほど居心地が良いみたいだな』と冷やかされる。
8月2日 晴 今日でいよいよ鹿児島とおさらばだ。燃料,水を補給して明日の三島レース(何度出てもビリから数えたほうが早いくせに)の後,すぐ九州東海岸を通って帰る準備をする。Bクラス優勝の高知の『雪風』(パイオニア9)から『flying』は荷物の積みすぎだと冷やかされる。確かに(パイオニア9)はレース艇ではないが沢山のレース艇を抑えて優勝した艇の言葉は重みがある。しかしこちらはクルージング中だ。貰った焼酎,ビールが重いのかな?碧南へ帰ったら一度総点検をしよう。(すぐ又積むくせに)
8月3日 晴 6時スタートと朝が早い。ゼネラルリコールの後一斉にスタート,今日はジャストスタートだ。弱い風の上りを我慢していたらアビームの風になった。すると小さい艇からスピンを上げる。「可笑しいこの風はスピンの風でない」と言うてるうちに殆んどの艇がスピンを上げる。仕方がないのでクルージングスピンを上げる。何とかハラマセて頑張るうちに大きい艇は皆スピンを降ろしジブに変える。迷うも頑張る,これが良かった,鹿児島のメガヨット『SACHI』(ババリア50)の鼻先を竹島ゴール,何とか13位に入った。そのまま硫黄島へ,遅い昼飯を食べて,公民館の温泉に入りレース,ヨットの話に花が咲く。6時半よりパーティ,竹島,黒島,硫黄島の島民総出のもてなしに宴も盛り上がる。成績は7位,『flying』としてはこれまでの最高,立派なものだと自賛,表彰でいきなり名前を呼ばれ『ハルバル来たで賞』をもらう。子供の島太鼓と,腹の底に響き渡る花火の後に抽選会があり、黒和牛は当らなかったが,扇風機が当ってしまった。そのほかにもビールを2ケースも戴き,ずっしりヨットが重くなる。