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FLYING航海記

flying 船頭 水野範彦

航海に出るといつも、『ああしたら良かった!』『こうすれば良かった』と後知恵で色々後悔するばかりなので、後悔記でするべきかも?
5月21日5時  晴 起きたら北西の風6m、メインを1ポンリーフして碧南出港、師崎水道を過ぎるころ風は13mに瞬間風速は20m近くまで上がり、メイン1枚で8nt近くまでスピードが上がり、オーパイでバウが20度くらい振れるので、舵を持つがすぐくたびれて、メインを少しあそばせオーパイにする。一時波切港へ入ろうかと思ったが、大王を過ぎれば風下になり、少しは風が落ちるかと思い直し、布施田水道へ。ここで今航海最初のホンダワラをペラに巻く。2時半田曽港へ付く。今まで潜ったことがないし、先回のゴールデンウイークの勝浦往復もペラに良くかんだので、今回はフックをつけた棒を用意してきた。ステップをおろし一生懸命引っかくも取れない。
無駄なあがき30分、ついに諦め潜ることにする。ステップに手をかけ、手を伸ばすとペラに触り、2回で取れる。何だ潜らなくても手を伸ばせばOK、シャワーを浴びて昼寝。さすがに良く吹かれたのと,緊張したのか,草臥れたようだ。(後悔 メインを畳んでジブにすればよかったかも)
5月22日4時30分 晴 北の風2m、1時間走ったところで,またホンダワラを巻く。しかしたいしたこと無さそうなので,そのまま行くことにする。今日は1日反流に会う。0,5~1,5kt第4管区水路部の潮流図によれば,連れ潮の筈だが?シングルハンドの欠点の一つは,昼寝ができないことだ。たまらなく眠くなって,周囲を良く見て何もないことを確認して,キッチンタイマーを30分にかけて,お昼寝。しかしベルに気がつかず,40分寝てしまう。勝浦へ4時半着。海図によれば54Mのところ63M走ったことになる。早速潜る。慣れてきた。潜ってから温泉へ。明日は雨との予報で休むことにする。
5月23日 雨 予報どおり雨。9時ころ雨が上がったので迷ったが,雨上がりは風が強くなることが多いので,結局読書と,温泉を味あうことにする。
5月24日 晴 4時30分 予報は北東の風3mとのことで出港,潮岬をクリヤーしてから,逆潮で2ntしか出ない。そのうちに風が北西に変わり,13mくらいに上がる。気象庁にまた裏切られた。タックを5回もして,スプレーもしっかり浴びて,周参見へ1時入港。TVがぜんぜん映らない。昼寝をしてから,イノブタ温泉(町営)へ行き,温泉に入り,相撲を見て帰る。予報どおりというか,今ごろ北東の風が13m位吹いている。(後悔 やはり昨日出港すればよかったかな。温泉に魅力があったと反省しきり)
5月25日 起きてみると東の風が港内で,10m近く吹いている。準備万端と整え,2ポンリーフして6時半出港,1時間もしないうちに風は落ち,北西に変わる。リーフをといて機走,今日は良い風で走れると思ったのに!
全然思い通りに行かない。白浜温泉のホテル群を見ながら,日の御崎を回ったところの阿曽港へ1時入港,静かな良い港だが,いま工事のユンボウが岩を砕いていてやかましい。7時頃,和歌山のヨットが2艇入ってくる。
デイクルージングスポットのようだ。温泉に誘われるが,これから陸路見える奥さんを待ってのことゆえ,お断りして休む。
5月26日 晴 起きると北の風,今日は北西に行くので,十分帆走が楽しめると思い出港。途中10mを超える風が来たので,早々と2ポンリーフ,1時間もしないうちに,風は西に回り落ちる。仕方ないので,機帆走で南西に向ける。9時半ごろ続々と反航する本船が来るので,どこから来たかと思いチャートを見ると,鳴門海峡からだ。潮汐表を見ると,8時半が転流時で,今日の最強は11時半が8.5kt,福良へ向かうと,まともに反流を食らう。前に鳴門を通過したときは転流時だったが,海峡から1時間も2~4ntも連れ潮をもらったので,これは大変と北へ進路を変える。淡路島に一杯寄って,連れ潮をもらって,福良港へ12時半着。ここも使わない船が多く,繋留場所が少なくなった。着いたら東の良い風が吹いてきた。モウと怒っても仕方ない。漁師に聞いた銭湯へ行くが,本日休業。フエリー乗り場の観光案内所で,大鳴門橋へ行く無料のシャトルバスがあると聞く。その途中に,南淡路ロイヤルホテルに温泉があり,入浴できると聞いたが,時すでに遅し。(後悔 着いたらすぐ観光案内所へ行け)
5月27日 晴 今日は鳴門海峡を渡る日だ。潮汐表によると大潮で,9時が転流時だ。朝起きて,何時わたればよいか,潮汐表を見ていたら,一番最後に『任意の時間の流速を求める表』があったので,計算してみた。1時間前でも,最大流速の0.84倍,つまり今日は6,1kt*0,84=約5kt。だから8時に出ると30分前になるので,8時に出発。鳴門大橋を8時半通過,連れ潮なんと3kt,通過してからの渦がすごい。潮止まりの近くてもこれだから,最強時の渦のすざましさが察せられる。暫くしてから反流がある。鳴門大橋を見てわかった?橋脚が整流器の役目をして,本流をつくり,外れると反流を食うわけだ。(私の自己流解釈) しかも30M離れた高松の潮止まりは11時、2時間も遅い。伊勢湾で帆走している私には,考えられない。アビームで帆走,途中で風がなくなり,外洋帆走協会を止めた『flying』は機帆走協会に入ったほうが良いかも!小豆島に近づくに従って,反流がすごい。小豆島の南端を過ぎた途端,天俄かにかきくもり,15mの風が前から吹いてきた。必死にセ-ルを操り(本当はリーフをしなければいけないが,する暇も気もなかった)1時間,どこにそんな風があったかという天気になった。土庄の王子前漁港に入り,早速ホンダワラを退治をしていたら,船が傾いてきた。水深が2mと言われて安心していたら,30cm足りない。仕方ないので自転車に乗り,土庄本港と,東港を見てきたが,どこも付けるところがないので,温泉に入り,食事をして帰ったら,船が気持ちよさそうに浮かんでいたので,小豆島見物はパスして,(観光案内によると大したところはない。負惜しみか?)高松へ向かうことにする。(後悔 水深は必ず自分で確かめよ)
5月28日 晴 今日は7時から潮が西へ流れるので,ゆっくり朝食をして,7時出発。風なく機帆走協会を設立した『flying』は予定通り連れ潮をもらって,9時高松ヨット競技場に着く。今日は休みで,適当に繋留して,潮まるけの艇を洗い,燃料を買いに出かける。近くにコインランドリーも,スーパーも,銭湯もある。立派な上架設備と,勿論陸電もあるので,早速パソコンの充電をする。ここのクラブの人が来て,外来艇は,繋留料が無料と聞いて嬉しくなる。(単純なものだ) 4時頃淡輪からヨットが2艇きて宴会をする。明日小豆島へ行くと言うので,どこに泊めるか聞いたら何処も止めれないので,岡崎造船のある琴塚へ行くそうだ。 (後悔 小豆島をやめて高松へ直航するんだった)
5月29日 晴 9時,昨日約束した高松のヨットマン川上さんと粟島へ行く。ヤマハ24とBW25(新艇から乗って見えるそうだ。ご立派)。風がないので,機帆走。しかし2艇とも帆走。ご立派と言うほか無し。仕方ないのでのんびりと行く。瀬戸大橋を12時ころ通過,昔は本船,フエーリー,漁船などが右往左往していたが,今は本船のみで静かなものだ。粟島に1時半着,昼寝から覚めると2艇とも着いていた。やはりすぐ機走にしたとのこと。夜,元山さん宅で,ニュージーランドから来ていた,自作した鉄製の36ftのヨットでアリュ-シャンからアラスカに向かう艇と,ご馳走になる。。未婚の34歳の男性と?才の女性のカップルだ。アラスカに着いたら一度帰って,1年ほどお金を稼いで,続航するそうだ。なかなか日本人にはできないことだ。人からカンパを頼んでやるか,リタイヤをしなければ出れないこの国の人間は,羨ましがるばかり。そういえば同行した高松のお二人とも,今年リタイヤーされたそうだ。
5月30日 晴 朝 元山さんが借りた家をリストアーしているのを見に行く。あとはタイルを張り水道を直すと完成だそうだが,モウ受け入れ準備OKで,布団から台所用品,洋酒までそろっている。井戸水に関しては鉄分が強いので,浄水器をいれたいとのことだが,設備費や維持費がかかるので,水道を引くように進めるが,水道の加入金が20万円もするのでと,お悩みのこと。カンパをする。未完成でもヨットマンに開放するそうだが,心無いヨットマンがいて,粟島の海員学校の展示室から展示品を盗んだり,水道を出しっぱなしにして帰るなど,お陰で展示室は施錠されるは,ポンツンの水道は止められるし,開放した後のことを心配して見える。何処にでも心がけの悪い人が見えて,他の人に迷惑をかけるもんだ。そんな話で8時出港,舵誌に出ていた,大崎下島の海の駅に向かう。来島海峡の転流が12時だから,心急ぐも逆潮で走らない。今日の潮は6ktだから遅くなると,すごい連れ潮をもらうことになる。1時に海峡に入る。すでに4ktの連れ潮だ。鳴門海峡の教訓で,橋脚を見てまっすぐ走る。入口が判らないので,駅へ電話したら堤防まで迎いに出てくださった。フエーリーが着いているすぐ前を回ったところだ。これでは余程注意しないと判らない。駅長さんは豊町美人で,舫をとってもらう。しかし後がいただけなかった。食事は3時までに予約がないと準備できない。風呂シャワーはない。トイレはフエーリー乗り場にあり,夜は使用できない。町の食事どころを聞くと,御手洗町(オテアライではなく,ミタライ町と読んでください)に2軒あるし,又古い町並み保存地区でもあるので,観光がてら見てきたらとのことで,観光MAPをもらい,自転車を下ろし,出かける。確かに古い町だ。明治,大正,昭和初期の建物が並んでいる。中でも圧巻は芸者置屋後の若胡子屋だ。立派な舞台や座敷等素晴らしいが,無人のまま開放してある。町の人は知らない私にも挨拶してくださる。1時間ほど散策して食事所を探すとこれも古いムードだ。丼物か,麺類しかない。仕方ないのでAコーポで出来合いのものを買って帰り,船のシャワーを浴び,さびしい食事。結局『ゆたか海の家』というホテルを作り,その付帯設備としてポンツンを作ったというのが真相かな?それにしても『2日間しか止めていけない』と掲示板に出ているが,舵誌に出ていた豪華クルーザーが泊めてあるし,地元游漁船が泊めてあって,外来艇の泊地は,1艇分しか空いてなかった。自称『海の駅』なら,この設備でも良いかもわからないが,『舵誌』に見解を伺いたいものだ。しかし夕方の干潮時には,谷底にいるような感じまで潮が引き,ポンツンの有り難味を知る。
5月31日 晴 TVも見れないので,今日1日ここで休養しようと思っていたが,急遽5時半出港,室津に向かう。今日は『瀬戸内海帆走クラブ』に入って帆走,上関海峡でセールを降ろし入港,町営桟橋につける。ここは基本料金500円,1時間当り100円,町役場に払う。ここでも料金にイチャモンをつけて,払わなかったヨットマンがいたそうだ。お金を払うのが嫌なら,他に着ける所があるので,そこへ移動すればよいのに。ここも干満の差が3mもあるところなので,干潮には陸に上がることもできないのに。バスでシーサイドホテルへ行き,温泉に入り久しぶりに豪華?な食事をして帰る。
6月1日 晴 5時出港,今日も風をもらう。インターネットで知った,下松の競艇場の隣に,立派なポンツンができ,無料で係留できるとのことで行く。しかし地元の船で満杯,やむなくこれもインターネットで知った宇部の港へ向かう。12時頃風がなくなり,機帆走中1時半ごろ突如風が強まり,前に回るので,2ポンリープする。あやふく間に合い,18m近く迄上がった強風に,後1時間でつくわいな!と思っていたのも儚い夢,浅いので白波は立つは,波は大きくなるはで,2時間かかって漸く港に入る。なぜ吹きたつ良い風は,前から吹くのでしょう。ちょうど地元のヨットマンが見えて,船に乗って空いた繋留場所の舫を手早く取ってくださり,繋留完了。2時間近くもまれた『flying』は感謝感激,おまけにジュースの差し入れまで戴く。森光さんは本船の機関長だった人で,コンテッサⅥ(現 玄洋)に乗って見えるベテランのヨットマン,これから先の寄港地やその他色々お話を伺う。道を横切ったところに,立派なショッピングセンターがあり,食料を買いだしてくる。
6月2日 晴 今日は関門海峡を渡る日だ。11時56分が転流時だから9時に出れば十分間に合う。ゆっくり朝食を済ませると,昨日お世話になった方々が見え,ひとしきり話がなずむ。関門海峡は5k以上の潮に乗って,渦の外側をバウがふられる位で走ると,渡ったという気がするとの話に,『flying』は玉玉が腹の中へ入って,当分お隠れのままではないかと?舫をとくのを手伝って戴いて,出港。潮流観測所の表示を見ると,東流1ktとでている。とっくに転流している筈だのに。まあいいかと関門橋をくぐる。作業船を引いているタグボートがなかなか進まない。船長はなぜ転流が遅れているか?とブツブツ言っているのが見えるようだ。転流から1時間遅れてやっと東流(反流)が0の表示になる。気象庁もだが予報が狂っても絶対言い訳しないのは,天変地変は仕方がないと思っているからか?下関漁業市場の前に繋留。向えに穴子水軍ヨット軍団の繋留地があり(ボスの国利さんの個人所有地)夕食のご馳走になリ,1別以来に話が弾む。関門海峡を望む海岸に,横浜のショツピングモールの負けないような(少し負けるか?)のと,遊歩道ができて,完全に整備されると,素晴らしい観光地になるでしょう。
瀬戸内海 干満の差が,新居浜,宇部付近で4,2mもあるので,狭いところでは潮流が早い。繋留に注意しないと!堤防に登れないので,舫うこともできない。解く人はそのまま『サヨウナラ』とヨットを見送ることになります。新居浜を中心ぐらいにして,潮流が反対に流れる。つまり干潮では紀伊水道方面と備後水道方面に流れる。満ち潮では新居浜方面と関門海峡方面に流れます。海峡では宇部のヨットマンの指摘どおり,連れ潮に乗ってみた気もします。但しほどほどに!
関門海峡の潮待ち 下関側では,南風泊漁港,下関漁港,六連島,瀬戸内側では,宇部,柄杓田漁港が良いようです。
鳴門海峡を通りたくない時や反流の時は,小鳴門海峡が良いです。